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如来堂 新選組激戦の地 2 [お寺と神社]

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NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2D


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NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2D


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NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2D


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NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2D



会津若松市ホームページ
http://boshin.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/spot-map/65/



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如来堂 新選組激戦の地 [お寺と神社]

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歴史好きの知人から教えてもらい、訪ねてみた。
曲がりくねった狭い道を入っていく。
人の家の中に入ってしまうじゃないかと
恐る恐る進む。

あ、ここで大丈夫だ。


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NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2D


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NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2D


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SONY a7Ⅱ Ai Nikkor 50mm F1.8S


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NIKON Df AF Nikkor 35mm f/2D


現地の解説板
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如来堂 会津若松市ホームページ
http://boshin.city.aizuwakamatsu.fukushima.jp/spot-map/65/



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会津士魂と近藤勇の墓 天寧寺 [お寺と神社]

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平日の休暇の午後、天寧寺を訪ねた。
平日にもかかわらず数人の参拝者とすれちがった。

近藤勇の墓は線香が絶えることがないようだ。

墓のすぐ横には寄せ書き用のノートが数冊あった。
この日に記載された寄せ書きもあった。

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「会津士魂」の著者早乙女貢氏の墓もある。

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まだ途中までしか読んでいないが、
来年中には「会津士魂」全13巻と
「続・会津士魂」全8巻を読破しようと思う。

SONY a7Ⅱ FE 28-70mm F3.5-5.6 OSS
2018.11下旬撮影

近藤勇の墓
境内裏手には、戊辰戦争に敗れ刑死した新選組局長近藤勇の墓がある。近藤勇の墓は日本各所にあるが、天寧寺の墓は土方歳三が遺体の一部を葬ったとされている。4月25日の命日には、墓前祭りが開催される。

沿革
文安4年(1447年)に蘆名盛信が大瞞行果禅師 南英謙宗のために陸奥国会津黒川東山に開いたといわれる。勧請開山は傑堂能勝であった。かつては会津曹洞宗の僧録司を兼ね、末寺33カ寺、僧堂12を数えたとされる。
蘆名家中興の英主とされ、会津地方に大勢力を築いた蘆名盛氏が銭100貫文を寄進した記録があり、最盛期には雲水1,000名を擁する蘆名氏の菩提寺であった。
天正14年(1586年)、蘆名亀王丸の死によって蘆名氏は血統が途絶え、伊達氏と佐竹氏の争いとなったが、結局は佐竹義重の次男・義広が跡を継いだ。義広は、当初陸奥国白河の白河結城氏を継いで結城義広あるいは白河義広と称していたが、天正15年(1587年)、蘆名盛隆の娘と結婚して正式に蘆名家を継ぎ蘆名義広を名乗った。
義広は、天正17年(1589年)の摺上原の戦いの敗北により米沢の伊達政宗によって会津黒川を追われ、天寧寺もこの戦いで一時焼亡している。当時の遺構として残っているのは本堂の礎石のみである。
会津を追われた蘆名義広は実兄・義宣を頼って常陸国に逃れ、のち、豊臣秀吉から常陸国江戸崎4万5,000石を与えられ、名を蘆名盛重と改めた。なお、会津は伊達政宗には与えられず、秀吉は配下の蒲生氏郷を封じた。氏郷の死後は上杉景勝を越後国より加増のうえ転封した。
後援者を失った天寧寺であるが、その後も周囲の人びとの尽力によって維持され、現代につづいている。
「天寧寺 (会津若松市)」2018年7月26日 (木) 14:38UTCの版『ウィキペディア日本語版』。 https://ja.wikipedia.org/wiki/天寧寺_(会津若松市)



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紅葉と落ち葉のみち 会津藩主松平家墓所 その2 [お寺と神社]

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11月の上旬
会津若松東山温泉近くの会津藩主松平家墓所を訪ねた。
古い苔むした石段と山道を奥へと進む。

入口の地図では9代藩主容保の墓まで40分とあったが、
それほどはかからなかった。

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NIKON Df TAMRON AF19-35mm F3.5-4.5

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SONY a7Ⅱ AF NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5G

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SONY a7Ⅱ AF NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5G

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SONY a7Ⅱ AF NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5


紅葉と落ち葉のみち 会津藩主松平家墓所 その1
https://yuruaizu.blog.so-net.ne.jp/2018-12-13



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紅葉と落ち葉のみち 会津藩主松平家墓所 その1 [お寺と神社]

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11月の初旬
会津若松東山温泉の近くにある会津藩主松平家墓所を訪ねてみた。
会津武家屋敷からも近く、まずは武家屋敷を見学し
車はそこに置いて歩いて行くことにした。

知人に教えられた通り、車の停め場所がほとんどなく。
車を置いてきて正解だった。


見頃は少し過ぎてしまったが、まだ紅葉が残る参道を歩く。
熊出没注意の張り紙に少しビビりながら
古い石の階段をを奥へと進んでゆく。

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SONY a7Ⅱ AF NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5G

現地案内板
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SONY a7Ⅱ AF NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5G

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SONY a7Ⅱ AF NIKKOR 24-85mm F3.5-4.5G

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NIKON Df TAMRON AF19-35mm F3.5-4.5

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NIKON Df TAMRON AF19-35mm F3.5-4.5

こんな平日にだれもいないだろうと思っていたが、
数人とすれ違った。


概要
初代保科正之の墓所は猪苗代町の土津神社にあり、2代保科正経から9代松平容保までの墓所は会津若松市東山町の松平家院内御廟(いんないごびょう)にある。両所は、大名家の神式墓所の代表的なものとして、1987年(昭和62年)に国の史跡に指定されている。
「会津藩主松平家墓所」2016年9月24日 (土) 03:50 UTCの版『ウィキペディア日本語版』。 https://ja.wikipedia.org/wiki/会津藩主松平家墓所

紅葉と落ち葉のみち 会津藩主松平家墓所 その2
https://yuruaizu.blog.so-net.ne.jp/2018-12-18

この動画もいいですよ
戊辰150周年記念特典映像_松平廟所編
https://www.youtube.com/watch?v=tDlt56u74tU



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飯盛山周辺その2 さざえ堂ぐるっと回って登って降りて [お寺と神社]

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飯盛山の順路に従いさざえ堂へ。
参拝料を払って内部へ入ってみる。

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SONY a7Ⅱ AF Nikkor 35mm f/2D

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NIKON D5500 SIGMA 17-50mm F2.8 EX DC OS HSM

なんとも水平のラインがなく、
左右対称でもなく
なんか撮りづらい。
なんとも不思議な建物。

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NIKON D5500 SIGMA 17-50mm F2.8 EX DC OS HSM

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NIKON D3200 SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 DC HSM

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NIKON D3200 SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 DC HSM


会津さざえ堂
二重らせん構造の斜路をもつ特異な建物として知られる。福島県会津若松市の白虎隊の墓所のある飯盛山の中腹に建つ。通称は「会津さざえ堂」もしくは単に「さざえ堂」で、正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)という(重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)。
平面六角形の特異な建物である。概ね三層構造といえるが、内部には二重らせん構造の斜路が続き、右回りに上る斜路と左回りに下りる斜路が別々に存在する。入口から斜路を最上階まで上り、他者とすれ違うことなく、別の斜路を降りて出口から出ることができる。
かつてこの地にあった正宗寺の仏堂として、江戸時代後期の寛政8年(1796年)に当時の住職であった郁堂(いくどう)が建立したものである。当時は阿弥陀如来を本尊とし、斜路には三十三観音像が安置されていたという。神仏混交の信仰形態をもっていた正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、以後、栄螺堂は個人の所有となっている。また、堂内にあった三十三観音像は他所へ移され、代わりに「皇朝二十四孝」の額が取りつけられている。平面は一辺3.4メートルの六角形で、堂内中央部に6本の通し柱を立てる。側柱(建物外周に立つ柱)も6本の通し柱で、中央柱との間には繋梁を渡す。屋根は銅板葺きとし、正面入口には唐破風造の向拝を設ける。最上部の天井は折上げ鏡天井とする。
同名の堂は他所にもあるが、旧正宗寺三匝堂のような特異な内部構造をもった堂は他に知られず、稀有な例として平成7年(1995年)6月27日付けで国の重要文化財に指定された。
なお、二重らせん構造を有する近代以前の建築物としては、世界では他にフランスの世界遺産であるシャンボール城(ロワール地方)内部の、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計とも伝えられる二重螺旋階段が知られている。これが蘭書に掲載され、めぐりめぐって会津地方まで伝わったのではないかという説もあるが、物証は無く定かではない。
「栄螺堂」2018年11月10日 (土) 07:31 UTCの版『ウィキペディア日本語版』。 https://ja.wikipedia.org/wiki/栄螺堂



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会津若松周辺 歴史散策 [お寺と神社]

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会津ファンの仕事仲間と会津若松周辺のドライブへ。
なんとなく付き合いで出かけてみたものの、
気がつけば自分の方が撮影に熱中していた。

今回はお付き合いで撮影ばかりもしていられないので
また今度一人でくることにする。

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土津神社 NIKON Df AF NIKKOR 35-70mm F2.8

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土津神社 NIKON Df AF NIKKOR 35-70mm F2.8

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飯盛山 さざえ堂 NIKON Df  AF Nikkor 35mm f/2D

滝沢本陣は歴史小説などでよく登場するところ。
参観料金300円払い、なにげなく入ってみたら、

おお!!!
外から差し込む光がつくる古い家屋の陰影に感動。
これはまたこなければ!!

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滝沢本陣 NIKON Df  AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G
以上2018.9撮影

よし、あらためて撮影に来ることにしよう。


土津神社 概要
土津神社は延宝3年(1675年)、磐梯山麓見祢山の地に葬られた保科正之の墓所に造営された。「土津」(はにつ)という名称は、寛文11年(1671年)に正之が吉川惟足より吉川神道の奥義を授けられた際に「土津」の霊神号を送られたことに由来している。翌寛文12年12月18日(1673年2月4日)に正之が死去すると、遺言通り見祢山の麓・磐椅神社の西方に葬られた。正之は生前、死後は磐梯山の神を祀る磐椅神社の末社となって永遠に神に奉仕したいと望んでいたという。そのため、土津神社は磐椅神社の末社となっている。現在境内には、明治13年(1880年)に再建された社殿と7つの末社、山崎闇斎の撰文で正之の治績を刻んだ高さ7.3mの土津霊神之碑があり、さらに奥の院として正之の墓所がある。

歴史
寛文12年8月11日、正之は重臣と共に見祢山へ登り、磐椅神社へ参拝した。その時にこの地を気に入り、自らの墓所と定めたという。翌年に正之が死去すると、遺言どおりにその地に葬られ、神式の葬儀によって埋葬された。この時期、江戸幕府は葬式は仏式によるものと定めていたが、吉川惟足が老中稲葉正則と交渉し、神式で執り行う旨の許可をとった。
その後、前述したとおり2年後の延宝3年に墓所の南側約1キロメートルの地に土津神社が造営された。古来の正式に則った神殿造で、日光東照宮と比較されるほどの絢爛豪華な建物だったという。
しかし、慶応4年(1868年)の戊辰戦争時、母成峠の戦いで会津藩が敗れた後、猪苗代城代高橋権大夫の命で土津神社には火が放たれ、全焼してしまった。その後、会津藩が斗南藩(現・青森県下北半島)に移封されると、土津神社の御神体も斗南藩に遷された。明治4年(1871年)の廃藩置県によって斗南藩が廃されると、御神体は猪苗代へ戻り、磐椅神社に祀られた。この後、明治7年(1874年)から土津神社の再建が始まり、同13年に完成し、御神体が遷されて現在に至っている。
昭和62年(1987年)5月12日、会津若松市東山町と耶麻郡猪苗代町に所在する「会津藩主松平家墓所」が国の史跡に指定された。
「土津神社」2018年7月26日 (木) 21:40UTCの版『ウィキペディア日本語版』。 https://ja.wikipedia.org/wiki/土津神社



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喜多方 新宮熊野神社 長床 再訪 [お寺と神社]

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残念ながら、
葉っぱが黄色くなるには、あと数日かかりそうです。

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2016.11 


尾瀬の写真ブログ
尾瀬の裏方:http://ozebaka.blog.so-net.ne.jp/



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喜多方 新宮熊野神社 長床 再訪2 [お寺と神社]

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来シーズン、葉っぱが黄色くなるころ
また来ようと思います。

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2016.11 喜多方 新宮熊野神社 長床


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喜多方 新宮熊野神社 3 [お寺と神社]

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静かな森に癒やされる神社でした。

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2016.10 新宮熊野神社 長床

新宮熊野神社 長床 情報HP↓
http://gokujo-aizu.com/areainfo/204
http://aizumonogatari.com/tour/6618.html



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